37年間の喫煙をニコチンガムで克服した還暦の挑戦 - 高橋勝の禁煙記録
還暦を迎えた年に、37年間連れ添ったタバコと別れました。60歳から禁煙なんて遅すぎると思う方もいるかもしれません。でも、遅すぎることはないのだと、この体が証明しています。
私は高橋勝、60歳。仙台市内の電機メーカーに37年間勤務し、昨年定年退職しました。技術部門の部長を最後に、サラリーマン人生を終えました。そして同時に、タバコとの生活も終わりにしました。
タバコを吸い始めたのは23歳、大学を卒業して会社に入った年です。昭和の終わり頃、オフィスの自分のデスクでタバコが吸えた時代です。灰皿がデスクの標準装備で、部屋中が紫煙に包まれていた。あの頃の日本は、タバコを吸わない方が変わり者だった。上司から「まあ一本吸えよ」と差し出されたショートホープが、私のタバコ人生の始まりでした。
37年間、ずっとショートホープ一筋でした。あの短くて太い、ガツンとくる味。ロングの軽いタバコには見向きもしなかった。1日1箱半から2箱。朝起きて一服、出勤前に一服、仕事中に何度も喫煙室へ、昼食後に一服、午後の休憩に一服、残業中に一服、帰宅後に晩酌しながら何本も。数えたこともありませんが、30本以上は確実に吸っていました。
妻の美智子には、結婚した30歳の頃から「やめて」と言われ続けてきました。30年間、同じお願いを繰り返してくれた妻の忍耐には頭が下がります。子どもたちが生まれたとき、「子どものためにやめて」と言われた。子どもたちが喘息になったとき、「あなたのタバコが原因かもしれない」と言われた。それでもやめなかった。やめられなかった。
禁煙の失敗歴は数えきれません。ニコチンパッチを試して肌がかぶれた。禁煙セラピーの本を読んで3日で挫折した。「明日からやめる」と宣言した翌朝にタバコを買っていた。もはや自分でも「自分には無理だ」と諦めていました。
定年が近づいてきた59歳の冬、会社の退職前健康診断で、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の初期段階と診断されました。肺機能検査の結果が基準値を下回っていたのです。
医師にこう告げられました。「高橋さん、今すぐ禁煙しなければ、5年後には酸素ボンベが必要になる可能性があります。」
酸素ボンベ。チューブを鼻に入れて、カートを引いて歩く姿。病院の廊下で何度も目にしてきた光景が、自分の未来に重なりました。定年後の第二の人生を酸素ボンベとともに過ごすのか。孫と公園で遊ぶにも、旅行に行くにも、酸素ボンベが必要になるのか。
その日、帰宅して妻に診断結果を伝えました。美智子は黙って聞いていましたが、最後にこう言いました。「30年間言い続けてきたけど、もう言わないわ。あなたが決めて。」
その静かな言葉が、30年分の「やめて」よりも重く響きました。
翌日、ドラッグストアでニコレットのニコチンガムを購入しました。今回ニコチンガムを選んだのは、以前パッチで肌トラブルが出た経験があったことと、口寂しさを直接的に紛らわせられると思ったからです。クールミント味を選びました。
定年退職の日、送別会で最後の一本を吸いました。37年間のサラリーマン生活と、37年間の喫煙生活に同時に別れを告げました。
退職翌日からが、禁煙との本当の戦いでした。会社に行く必要がなくなった分、時間が有り余っている。暇になるとタバコが吸いたくなる。朝起きて、やることがない。テレビを見ても面白くない。新聞を読んでも集中できない。手持ち無沙汰の連続でした。
ニコチンガムが文字通りの命綱でした。吸いたくなったらガムを噛む。ゆっくり噛んで、ピリッとしたら止める。頬の内側に挟んで、ニコチンが吸収されるのを待つ。この一連の動作が、タバコを吸う代わりの儀式になりました。最初の1週間は1日12個ほど使いました。
最大の壁は、晩酌の時間でした。37年間、日本酒を飲みながらタバコを吸うのが至福の時間でした。仙台の地酒、浦霞や一ノ蔵を酌みながらの一服。この組み合わせを断つのが一番きつかった。最初の2週間は禁酒も併せて行いました。酒を飲むとタバコへの欲求が跳ね上がることがわかっていたからです。2週間後、恐る恐る日本酒を口にしたとき、タバコなしでも酒は美味い、と気づきました。むしろ、タバコなしの方が日本酒の繊細な味わいがよくわかる。
妻の存在は、今回の禁煙で最も大きな支えでした。「もう言わない」と宣言した妻は、言葉ではなく行動で応援してくれました。タバコを吸いたくなりそうな時間帯に散歩に誘ってくれる。食事を丁寧に作ってくれる。何も言わないけれど、さりげなく見守ってくれている。30年間の蓄積された愛情を、そこに感じました。
禁煙1ヶ月目、退職後の新しい生活リズムを作ることにしました。朝6時に起きて、近所の広瀬川沿いを散歩する。帰ってきたら朝食。午前中は図書館で読書。午後は家庭菜園の手入れ。夕方、もう一度散歩。タバコを吸う隙間がないくらい、予定を入れました。
2ヶ月目、ニコチンガムの量を減らし始めました。1日12個が8個になり、5個になり、3個に。ガムの間隔が空いても、以前ほどの離脱症状は出なくなっていました。
3ヶ月目、人生初のマラソン大会にエントリーしました。といっても5キロの部ですが。37年間タバコを吸い続けた肺で、果たして走れるのか。不安はありましたが、散歩の延長で少しずつジョギングを始めていたので、完走できる自信はありました。
大会当日、仙台の青葉通りを走りながら、欅並木の緑を見上げました。きれいな空気を肺いっぱいに吸い込みながら走る。37年間、こんな気持ちよさを知らなかった。ゴールしたとき、タイムは40分。決して速くはないけれど、完走できた達成感は格別でした。応援に来てくれた妻が「おめでとう」と言ってくれたとき、不覚にも泣いてしまいました。
4ヶ月目にニコチンガムを完全にやめました。もう必要ありませんでした。
禁煙から1年が経った今、体の変化は劇的です。COPDの進行は止まり、肺機能検査の数値は改善傾向にあります。医師から「この調子なら酸素ボンベの心配はなさそうですね」と言われたときの安堵は、言葉にできません。
体力も回復しました。今では10キロのマラソンに挑戦しています。来年は仙台国際ハーフマラソンに出場するのが目標です。60歳のおじさんが、ハーフマラソンに挑戦する。タバコを吸っていた頃の自分に教えたら、きっと信じないでしょう。
味覚も嗅覚も戻りました。妻の手料理の美味しさに改めて気づきました。仙台名物の牛タンの旨味、ずんだ餅の優しい甘さ、新鮮な三陸の海の幸。この街の食の豊かさを、60歳にして再発見しています。
経済面では、1日2箱、1箱580円として月に約35,000円、年間42万円の節約。定年後の年金生活において、この金額は大きい。浮いたお金で妻と松島に旅行に行きました。日本三景の絶景を、きれいな肺で眺める。タバコの煙越しではなく。
先日、30年間言い続けてくれた妻に「ありがとう」と伝えました。「30年かかったけどね」と笑いながら、「でも、やめてくれて本当に嬉しい」と言ってくれました。
60歳からの禁煙。遅すぎることはありません。ニコチンガムという手軽な道具があれば、37年間の習慣でも断ち切れます。何歳からでも、体は回復しようとしてくれます。人間の体は、思っている以上に強い。
仙台の空の下、新しい人生が始まっています。タバコの煙が晴れた向こうに、こんなに広い空が広がっていたとは。37年間、気づかなかった。