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禁煙外来とニコチンパッチの併用で25年の鎖を断つ - 伊藤大輔の禁煙物語

1 min read Updated March 29, 2026

料理人がタバコを吸う。矛盾しているように聞こえるでしょう。味を生業とする人間が、味覚を麻痺させるタバコを吸い続ける。その矛盾に25年間目をつぶってきました。

私は伊藤大輔、48歳。京都の祇園にある日本料理店で板長を務めています。23歳で料理の道に入り、25年間。出汁の味を見極め、季節の素材を活かし、お客様に最高の一皿を提供することに人生を捧げてきました。そして同じ25年間、タバコを吸い続けてきました。

始まりは調理師専門学校時代。同級生に勧められたラークマイルドが最初の一本でした。料理の世界は体力勝負で、長時間の立ち仕事と上下関係の厳しさの中、タバコは唯一の息抜きでした。修業時代、親方に怒鳴られた後に裏口で吸う一本のタバコが、どれだけ心を支えてくれたか。

板長になってからも、タバコはやめられませんでした。毎朝、錦市場で仕入れを終えた後の一服。仕込みの合間の一服。営業後の片付けを終えた後の一服。1日に20本近く吸っていました。

料理人として致命的だったのは、味覚の衰えです。でも、25年もかけて少しずつ衰えていくと、自分では気づかないのです。出汁の味を決めるとき、若い衆に「もう少し薄い方がいいのでは」と指摘されることが増えていました。自分の舌がおかしくなっているとは思いたくなくて、「若いもんにはまだこの味がわからんのや」と突っぱねていました。今思えば、本当に恥ずかしい話です。

禁煙のきっかけは、料理評論家のある一言でした。

京都の有名な食のガイドブックの取材で、うちの店に来た評論家が、料理を食べた後にこう言ったのです。「伊藤さんの料理は技術は素晴らしい。でも、最近少し味が重くなっていませんか。繊細さが以前より薄れている気がします。」

その夜、一人で厨房に残って考えました。味が重くなっている。繊細さが薄れている。もしかしたら、それは自分の味覚の問題ではないか。タバコのせいで、微妙な味の違いを感じ取れなくなっているのではないか。

翌日、信頼できる若い衆の一人に正直に聞きました。「俺の味覚、落ちてるか?」。彼は少し迷った後、「正直に言うと、以前の板長の味の方が繊細でした」と答えてくれました。その言葉は、刃物で切られるより痛かった。

料理人の味覚は命です。味覚を失うことは、料理人としての死を意味します。25年間積み上げてきたものが、タバコのせいで崩れかけている。それに気づいたとき、禁煙は「した方がいい」ことから「しなければならない」ことに変わりました。

京都市内の禁煙外来を予約しました。先生は私の喫煙歴と職業を聞いて、「料理人さんなら、禁煙の恩恵は特に大きいですよ」と言いました。25年間1日20本という喫煙歴を考慮して、チャンピックスの内服薬に加えて、ニコチネルパッチの併用が提案されました。内服薬で脳のニコチン受容体に作用させながら、パッチで離脱症状を緩和する。二重の守りです。

禁煙開始日は、店の定休日に合わせました。月曜日が休みなので、日曜の営業を最後に禁煙をスタート。最初の丸一日を休日に充てる作戦です。

初日は、思いのほか穏やかに過ぎました。チャンピックスとニコチンパッチの併用効果か、激しい離脱症状は出ませんでした。でも、手持ち無沙汰は強烈でした。タバコを持つ動作、火をつける動作、煙を吸い込む動作。25年間染みついた体の記憶が、何度も何度もタバコを求めてきました。

2日目、仕事に戻ると本当のつらさが始まりました。仕込みの合間、以前なら一服していた時間に、体がそわそわして落ち着かない。包丁を握る手に力が入らない気がする。出汁を引きながら、「タバコを吸えば集中できるのに」という考えが頭をよぎる。

最初の1週間で特につらかったのは、営業後の時間でした。最後のお客様を見送り、片付けを終えた後の一服は、一日の締めくくりの儀式でした。それがなくなると、一日の終わりが来ない感覚。代わりに、営業後にほうじ茶を丁寧に淹れる習慣を作りました。京都の老舗茶舗のほうじ茶は、香ばしい香りが心を落ち着かせてくれました。

禁煙外来には2週間ごとに通院しました。一酸化炭素濃度の測定で数値が下がっていくのを見るのが励みになりました。先生に「順調ですね」と言われるたびに、「もう少し頑張ろう」と思えました。

禁煙を始めて3週間目、最初の変化に気づきました。

朝、錦市場を歩いているとき、魚の鮮度が匂いでわかるようになったのです。以前は見た目で判断していたものが、鼻でも感じ取れる。八百屋の前を通ると、季節の野菜の香りが鮮やかに飛び込んでくる。聖護院かぶらの土の匂い、九条ネギの青い香り。25年間、自分がどれだけ多くの情報を失っていたのか、思い知らされました。

1ヶ月後、味覚の変化はさらに顕著になりました。自分の引いた出汁を口に含んだとき、昆布の旨味と鰹の風味が以前より鮮明に感じられました。「確かに、味が重かった」と認めざるを得ませんでした。評論家の指摘は正しかったのです。出汁の配合を微調整し、より繊細な味に仕上げ直しました。

若い衆たちも変化に気づきました。「板長、最近の出汁、前より美味しくなった気がします」。その言葉を聞いたとき、禁煙が自分の料理人生を救ってくれたのだと実感しました。

2ヶ月目からはニコチンパッチを段階的に減らし、3ヶ月目にはチャンピックスの処方も終了。パッチなし、薬なしの生活に移行しました。禁煙外来の先生から「卒業」の言葉をもらったとき、深い達成感がありました。

禁煙の過程で、いくつもの誘惑がありました。料理人仲間との飲み会は特にきつかった。祇園の馴染みの居酒屋で、先輩の料理人たちがタバコを吸いながら酒を酌み交わす。あの雰囲気の中で吸わないでいるのは修行のようでした。でも、先輩の一人が「大輔、お前の料理が最近変わったと評判やぞ。禁煙のおかげか?」と聞いてくれたとき、すべての我慢が報われた気がしました。

京都の四季も、禁煙してから違って見えるようになりました。春、嵐山の桜の下で感じる花の香り。夏、鴨川沿いの川床で味わう涼やかな風。秋、東福寺の紅葉の中で嗅ぐ落ち葉の匂い。冬、雪化粧した金閣寺の前で吸い込む冷たい空気。タバコの煙に隠されていた京都の匂いを、48歳にしてようやく知りました。

禁煙から1年。料理の評価は確実に上がっています。先日、あの評論家が再び店を訪れました。一口目の椀物を味わった後、「伊藤さん、味が戻りましたね。いや、以前よりさらに繊細になっている」と言ってくれました。涙がこぼれそうでした。

経済面では、1日1箱580円として年間約21万円の節約。そのお金で、新しい包丁と、ずっと欲しかった備前焼の器を購入しました。タバコに使っていたお金が、料理をより良くするための投資に変わった。これ以上の使い道はありません。

料理人として、味覚と嗅覚は最も大切な道具です。25年間、その道具を自ら鈍らせていたことへの悔いは消えません。でも、48歳で取り戻せたことに感謝しています。

禁煙外来とニコチンパッチの併用は、25年間の重い依存を克服するのに十分な力をくれました。一つの方法だけでは無理だと思う方は、複数の手段を組み合わせることを考えてみてください。医師と相談しながら、自分に合った方法を見つけることが大切です。

京都の料理人として、これからの人生は、クリアな味覚と嗅覚で、最高の一皿を追求し続けます。タバコに奪われていた25年分を取り戻すように。